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夢実現までの道のり - 夢の実現へ導いてくれた数多くの出会い(最終回)

2016-11-20
2016 年 11月 20日(日) 12時 30分 記

やっと太平洋横断航海の記録をまとめることが出来ました。
だらだらと長い文章をお読み頂き有難うございました。

航海の記録をまとめることが出来ましたことで一区切りつきましたので、今回で 『TSUYOTAKA航海日記』 を終了したいと思います。

2012 年 3月 15日にブログをスタートして以来、4 年と 8 ヶ月余りの長きにわたりご愛読頂き有難うございました。
無事太平洋を渡ることが出来ましたのも、皆様の温かいご指導、ご支援、ご声援の賜物と心より感謝しています。

このブログを始めた 2 日後の、2012 年 3月 17日には、『夢の実現へ向けて』 と題して自分の気持ちを記しましたが、その時でもまだ太平洋横断の夢を口に出すことは出来ませんでした。

太平洋を渡りたいという気持ちだけは持ち続けていたのですが、どこから、どう手を付けたら良いのか全くと言って良いほど分からず、外洋へ出ることの恐怖心は計り知れないものがありました。

とりあえず、日本を回ろうと言うのが当時の正直な気持ちでした。
そして、日本周航へ向けて清水港から出航した初日、2012 年 3月 26日に運命的な出会いがあり、夢の実現へ向けて大きな一歩になりました。

今回の太平洋横断を、少年時代のヨットとの出会いから振り返って、『夢実現までの道のり - 夢の実現へ導いてくれた数多くの出会い』 としてご紹介させて頂いて、ブログの締めくくりとさせて頂きたいと思います。


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『夢実現までの道のり - 夢実現へ導いてくれた数多くの出会い』

<< ヨットとの出会い >>
10 歳 (1960年) の時だったと思う、ヨットが何故走るかと、風向に対するセールの調整方法を図示した本を偶然読んだ。
今でもその図をはっきりと覚えている。

10 歳の時の夏、猪苗代湖で生まれて初めてヨット ( ホビーキャットに似た小型のカタマラン ) に出会った。
当時としては珍しいレンタルヨットだった。乗ってみたいと思った。

<< 『太平洋ひとりぼっち』 との出会い >>
12 歳 (1962年) の時、堀江謙一さんが太平洋単独横断に成功し、ゴールデンゲートブリッジをくぐってサンフランシスコに入港した。
10 歳の時にすでにヨットに興味を持っていた自分に取って、この出来事は衝撃的だった。
この時から、将来自分もヨットをやりたいと思うようになった。

19 歳 (1969年) の時、大学に入ってヨットを始めた時から、太平洋を横断することを夢として心の片隅に置いた。
しかし、それは全く現実味のない、空想と言っても良いほどのものだった。

<< クルーザーヨットとの出会い >>
22 歳 (1972年)、大学 4年生の秋、ヨット部の現役生活を退いた後の半年間ほど、縁あって 38 フィートのクルーザーヨットにクルーとして乗せてもらっていた。
相模湾でレース主体に活発に活動していたヨットで、自分にとって初めてのクルーザーヨットとの出会いだった。そのヨットで素晴らしい体験をさせてもらい、夢は大きく膨らんだ。
このヨットで教えてもらったことは、今なお自分のヨットと、心の中で生きている。

<< 加山雄三さんの曲、『 海、その愛 』 との出会 >>
大学卒業後、造船会社に就職してサラリーマンになった。
仕事は多忙を極め、経済的にも余裕は無く、夢の実現どころか夢を持ち続けることさえ難しかった。

加山雄三さんの 『 海、その愛 』 に出会ったのはそんな時だった。
加山雄三さんに夢を持つこと、夢を持ち続けることの大切さを教えられた。
『たとえ独りでも星をよみながら、波の上を行こう...』、 『たとえ一度でも、嵐のりこえて遠い国へ行こう...』、これらのフレーズは自分の夢と一致した。

<< 2 回目のクルーザーヨットとの出会い >>
35 歳の時だったと思う、会社の同期入社の友人が中古のクルーザーヨット 「 ヤマハ 25 MkⅡ」 (25 フィート) を購入した。
意外と簡単にクルーザーヨットを持つことができるんだなという印象を持った。手が届かないところにあると思っていたクルーザーヨットが、自分でも持てるかもしれないと思った。

その友人には年に何回か乗せてもらい、伊豆七島をクルージングして、八丈島へも行った。オーナーが岡山県に転勤した時は、千葉から岡山までの長距離航海も経験した。
この時に体験したこと、学んだことの多くは、今回の太平洋横断に生かされている。
これが夢実現の第一歩だった。

<< 尾道海技学院での出会い >>
37 歳の夏、広島県の尾道海技学院で合宿講習を受けて、一級小型船舶操縦士の免許を取得した。
今にして思うと、多忙だったサラリーマン時代に、11泊 12日の合宿講習に良く参加できたと思う。何かに取りつかれたように申し込んだ。
その時の同級生何人かとは、今でもお付き合いさせて頂いている。

<< 自艇との出会い >>
37 歳の冬、横須賀市の会社へ出向になった。
その会社にクルーザーヨットを持っている人がいて、ヨットに乗せてもらった。諸磯の良い環境でヨットに乗れることが羨ましかった。

会社の帰りに、横浜市金沢区の平潟湾の横を通ることがあり、そこにたくさんのクルーザーヨットがブイ係留されているのを見ていた。自分もクルーザーヨットを持ちたいと強く思った。

そんなある日、『 KAZI 』 誌の 「売りたし、買いたし」 欄に、10 年物の中古クルーザーヨット 「 ヤマハ 25 MkⅡ」 (25 フィート) が、まさにその平潟湾の係留権付きで売りに出ていた。
当時はクルーザーヨットを買えたとしても係留場所が無かったので、これだ!と思ってすぐに連絡して見に行き、その場で購入を決めた。
40 歳 (1990年) の時だった。これは、夢実現への大きな前進ではあったが、まだ太平洋横断とは結び付いていなかった。

<< 現在のヨットとの出会い >>
45 歳の時に会社を変わった。
仕事は以前よりも多忙になり、毎日夜の9 時、10 時、時には12 時近くまで仕事をして、土曜日は毎週のように出勤した。それに加えて 2 日 ~ 4 日間の出張が月に 1 ~ 2 回あった。
しかし、面白い会社で、残業手当は出なかったが、食事代と称して手当が出た。出張手当も悪くなかった。これらを貯めた。

47 歳の時、ヨットを一回り大きくしたいと思い、30 フィート前後の中古ヨットを探していた。
そんな時、偶然見た 『 KAZI 』 誌のニュージャパンヨットの広告ページの片隅に、フローティングボートショウ展示艇、「エスプリ・ディユ・バン 」 (30 フィート) を格安で販売しますとの広告を見付けた。
これだと思い、すぐに連絡を取って見に行き、その場で購入を決めた。

48 歳 (1998年) の時に、このヨットは遊漁船に真後ろから激突されて、マストは折れ、船体は大破した。
自分ともう一人の乗員は海に投げ出されたが、九死に一生を得て助かった。
ヨットは全損になり、賠償で新艇になった。
それが現在のヨットであるが、このヨットと太平洋横断はまだ結び付いていなかった。

<< 竹内まりやさんの曲、『 人生の扉 』 との出会い >>
50 歳 (2000年) の夏休みに、仲間と伊豆七島へクルージングに出かけた。
自分は夏大好き人間だった。夏は黙っていても毎年必ず来るので何も感じなかったが、その時ふっと、あと何回夏を健康で迎えることができるのだろうかと思った。
60 歳を超えたら、両手で数えられるほどではないかと思った。そう思ったら、居ても立っても居られなくなり、サラリーマン生活は60 歳で止めようと思った。

しかし、その後も多忙な生活は続き、夢の実現など考えようもなかった。

57 歳の時だったと思う、出張先の宿舎で何気なく見ていたテレビで、NHKの音楽番組 『SONGS 』 が始まり、竹内まりやさんが 『人生の扉 』 をピアノの弾き語りで歌い始めた。
良い曲だなと思って聴いていると、『満開の桜や、色づく山のもみじを、この先いったい何度見ることになるだろう』という歌詞が飛び込んできて、頭をがーんと殴られた気がした。
そう、50 歳の時に感じた 『あと何回、夏を健康で迎えることが出来るのだろう』 という気持ちと一致した。

その時、改めて60 歳で仕事を止めようと決意すると同時に、仕事が多忙であることを良いことに、何もしないで流されている生活が無駄に思えてきた。気力と体力がある内にやりたいことをやらなければならないと強く思った。

その時以来、定年後の経済的生活基盤の確立と、太平洋横断のための資金確保に注力するようになった。

<< 新たな仕事との出会い >>
59 歳 (2009年) の時に、多忙な仕事に終止符を打ち、自分の本当にやりたい仕事をやってサラリーマン生活を終えようと思い転職した。
この仕事は、地方の仕事場に数ヶ月から1年間、単身で赴任、駐在して、デスクワーク 3 割、肉体労働 7 割という仕事だった。体はきつかったが、8 時から 17 時のきっちりした仕事で、自由時間をたっぷり取ることができた。
飲酒量は大幅に減り、健康状態は飛躍的に改善した。

この時になっても太平洋横断のことは、まだ手つかずで、どこから手を付けたら良いかすら分からなかった。
しかし、定年退職後はヨットで日本を回ることを考えていた。
そのためにはヨットの改造が必要だったので、頭の中であ~しよう、こうしようと考えていたが、どこへ改造を頼んだら良いか全く分からず、見当も付かなかった。

<< ヨットビルダーとの出会い >>
61 歳 (2011年) の夏 (57 歳の時の決断に反してまだ仕事をしていた )、ヨットの天井灯の電球が切れた。
この機会に電球を LED に変えようと思い、10 年以上ご無沙汰していたニュージャパンヨットに連絡したところ、ヨットを購入した時に営業を担当していた S さんがご健在で、親切に対応してくれた。

その時、ヨットの改造について相談してみようと思った。
早速改造仕様書を作って、ニュージャパンヨットに見積もりを依頼した。
ニュージャパンヨットと数回の打ち合わせを行った後、ニュージャパンヨットへ改造をお願いすることにした。

ニュージャパンヨットは、静岡県の御前崎の近くの内陸に工場があるため、ヨットを陸揚げした後、工場まで陸送する必要があった。その分費用が余分に掛るが、ヨットの改造を、そのヨットを造った造船所で行うことが何よりも良いことは素人でも分かった。

2011年 12月、ヨットを横浜から清水港まで回航して、ニュージャパンヨットの工場へ搬入した。

<< 余談、世の中は本当に狭いということを感じた出会い >>
61 歳 (2011年) の12月末、会社を定年退職した。
出勤最終日に、皆さんの前で挨拶をして、退職後はヨットで日本を回りたいと話したところ、少しして同僚の女性がやってきて、「父がヨットで日本を回りました」 と話してくれたので驚いた。
ヨットで日本の隅々まで回り、ホームページで詳細な泊地情報を紹介してくれている、有名なヨット乗りの方のお嬢様だった。

<< 太平洋を単独横断したヨットマンと、無線のプロとの出会い >>
62 歳 (2012年) の3月、ヨットの改造、整備が終わり、清水港の富士山羽衣マリーナで進水した。
富士山羽衣マリーナで準備をして、3月 26日に日本周航へ向けて出航した。
初日は御前崎マリーナを目指したが、出港後南西の風が強くなってきたため、初日でもあり無理をせずに焼津港の近くの用宗フィッシャリーナに入ることにした。

フィッシャリーナに入ると、桟橋でもやいを取ってくれた人がいた。
その人は、ヨット 『 風韻 』 のオーナーで、太平洋を単独で渡ったことのある K さんだった。
自分も近い将来太平洋を渡りたいと話したところ、自分のヨットを見せてくれて、いろいろ教えてくれた。
後日、K さんに太平洋横断について 1~10 まで教えて頂いた。

この時、K さんに友人のヨット乗りの無線のプロを紹介して頂いた。
かつてマグロ船の通信長をしていた F さんで、ヨット 『福丸 』 のオーナーだった。

太平洋を渡るのに、何から始めたら良いか全く分からないでいた時に、太平洋単独横断の経験者に巡り会い、ヨットを見せてもらい、いろいろ教えてもらった。
無線の知識が全く無くて困っていたところに、無線のプロとも巡り会うことが出来た。
このことは、夢の実現に向けて大きな一歩になった。

この出航初日、良い風が吹いて、御前崎マリーナにすんなり到着していたら、このお二方に巡り会うことは無く、太平洋横断の夢はどうなっていたか分からない。

<< 日本周航中の出会い >>
62 歳~64 歳までの 3 年間、ヨットで日本を周った。
その間たくさんの方々にお会いして、助けて頂き、教えて頂いた。

太平洋を横断した人にも何人かお会いして、貴重な助言を頂いたり協力して頂いた。
世界を何周も回った人にもお会いした。

<< 夢の実現へ導いてくれた数多くの偶然の出会い >>
夢は、常に忘れることなく、強く思い続けていれば必ず実現するということは昔から言われていた。
しかし、それだけで夢が実現するとは思えなかった。

今、夢が実現して、その道のりを振り返ってみると、数多くの偶然の出会いがあった。
人との出会い、クルーザーヨットとの出会い、仕事との出会い、雑誌の広告との出会い、音楽との出会い、ヨットビルダーとの出会いなど偶然の出逢いが、節目ふしめで夢の実現へ向けて、背中を押してくれたり、自分を引っ張って行ってくれた。

これは、心の片隅ではあっても夢を忘れることなく持ち続けていたことにより、何でもない出会いが貴重な出会いになって、夢の実現へ向けて導いて行ってくれたのだと思っている。

別の見方をすると、何か目に見えない力が、これら貴重な出会いへと導いて行ってくれたのではないかとも思っている。

<< 夢の実現 >>
65 歳の初夏、2015 年 5月 21日早朝、静岡県清水港の富士山羽衣マリーナからサンフランシスコへ向けて出航した。
未明の雷雨がうそのように晴れた。その時の身震いするような緊張感を今でも覚えている。
富士山が楽しんでこいよと見送ってくれた。

同年 7月 13日 午前 7時 30分、ゴールデンゲートブリッジをくぐった。
夢実現の瞬間だった。長かったなと思った。

それは、夢を抱いてから半世紀余りの時間と、清水港を出てから 55 日目という日数と、両方の想いだった。


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長い間のご愛読有難うございました。
いつか、どこかでお会いできますことを楽しみにしております。

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2016 年 11月 20日
ヨット 「TSUYOTAKA」
古賀 道明


追伸 ;
このブログは、FC2 ブログが許してくれる限りこのままにしておきます。
ブログへのコメントは常時ワッチしていますので、ご質問などありましたら、メールアドレスをご記入の上コメントをお寄せ下さい。

2012年、2013年、2014年の日本周航時の航海記録(寄港地情報)も、古くなって、現在の状況に合わなくなっている部分も多いと思いますが、エクセルファイルにまとめてありますので、ご希望される場合はメールアドレスをご記入の上コメントをお寄せ下さい。






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未分類 | コメント:(16) | トラックバック:(0)
コメント:
人生の???
10歳の少年時代から、65歳の爺様まで、ずーーーっと夢を追い続け、実現すること自体あっぱれです。かつ、日本一周、太平洋とチャレンジする勇気も、常人には到底できるものではありません。そんな古賀さんに敬服いたします。
これからの人生も、古賀さんならではの、目標に向かって行かれるのでしょうね。その一部にでも、今後わたくしも参加させて頂くことを望みます。
身体の注意して元気にお過ごし下さい。
Re: 人生の???
三堀さん、

コメント有難うございました。

褒めすぎです。
太平洋横断と言っても、定年親父の道楽です。

夢を追い続けたなどという訳では決してなく、結果として…、振り返ってみれば、本当に何かに導かれたように、たくさんの偶然の出会いに助けられて、夢の実現へと導いて行ってもらったような気がしています。

道楽ではあっても、一人の力ではとても出来ないことでした。
助けて頂いた皆さんに感謝です。

TSUYOTAKA
古賀
No title
ついに総括も完了ですね。
労作 ご苦労さまでした。
このブログはきっと太平洋横断の灯台となることでしょう。
ブログがこれで終わってしまうのは寂しい気がしますが、一緒に楽しませていただき感謝です。
ありがとうございました。
またお会いしましょう!
No title
古賀さん

長い期間ブログを拝読させて頂き有難うございました、

10代からの夢を追い実現された、古賀さんに敬服いたします、因みに私には太平洋横断する度胸も勇気もありません。

今後もヨット・その他の件でお伺いする事も有るかと思いますのでその節はよろしくお願い申し上げます。

SANA
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
お疲れ様でした!
古賀さん

長い間ブログ楽しませて頂きました。
私だけでなく、すべてのシングルハンダーの貴重な参考になったと思います。

長航会での講習もとても興味深く聞かせて頂きました。

これからも元気にヨット生活を楽しんで下さい。

できれば、寄港地情報を頂ければ幸いです。
よろしくお願いします。

遠藤
Re: No title
ヨット「TAMA」
鈴木様

コメント有難うございました。

2012年3月、このブログを始めたばかりの時に、コメントを頂いたことを良く覚えています。
それ以来、泊地情報を頂いたり、ご声援を頂いたり、長い間有難うございました。

今後ともよろしくお願い致します。

TSUYOTAKA
古賀
Re: No title
ヨット「SANA」さん、

コメント有難うございました。

日本周航中は大変お世話になり有難うございました。
その後も、激励のコメントやメールをお送り頂き有難うございました。

航海は続けておられますか。
またどこかでお会いできますことを楽しみにしています。

TSUYOTAKA
古賀
No title
TSUYOTAKA 古賀道明 様
 最終回の文章(夢実現までの道のり)で、古賀さんの正直な自己開示と真摯な生き方に触れ感銘しました。ゴールデンブリッジを背にした写真は偉業を成し遂げた気負いはなく、本当に爽やかな表情です。文面や写真から古賀さんの人間性を見る気がしました。
 私事になりますが、古賀さんとの出会いは保田でした。その縁でnew-pecを一からから教わり、私は瀬戸内海クルーズという夢を実現することができました。ありがとうございました。
 これからは奥様と充実した時間をお過ごしください。「ああ、いい人生だった」とつぶやきながら・・・お幸せに!! 
Re: お疲れ様でした!
遠藤さん、

コメント有難うございました。
寄港地情報をお送りしました。
今後ともよろしくお願い致します。

TSUYOTAKA
古賀
Re: No title
ヨット「TAMA」
小谷さん、

コメント有難うございました。

小谷さんと保田漁港で偶然お会いできたおかげで、「TAMA」の皆さんともお会いすることができました。
今後ともよろしくお願い致します。

TSUYOTAKA
古賀

楽しく読ませて頂きました
TSUYOTAKA古賀さん
この総括までズ~と楽しく読ませていただきました!
全ての行動は準備が成功の要と思いますが、貴殿の周到な準備にはただただ敬服いたします。

コントレ~ルは日本一周が総括でしたので、その後は瀬戸内海中心でのんびりすごしています。

古賀さんは今、達成感が満ち溢れていて燃え尽き症候群が来ていませんか?
是非、これからもTSUTAKA号で海に出て、日常の様子のブログを続けて欲しいです。

ヨット仲間同志のブログの交換も楽しいものです。
よろしくお願いします。
      児玉良和
Re: 楽しく読ませて頂きました
ヨット「Contrail」
児玉様

コメント有難うございました。

ご推察の通り、燃え尽き症候群だと思うのですが、当分駿河湾から出られそうにありません。
でも、了解しました、『遠洋』は維持するつもりですので、駿河湾から出られるようになりましたら、ブログを再開したいと思います。

今後ともよろしくお願い致します。

TSUYOTAKA
古賀 道明
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